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渋沢栄一の偉業や歴史は?新紙幣1万円札肖像画候補が設立に関わった会社まとめ

平成も2019年4月で終わり、2019年5月からは令和元年となりますね。平成の終わりとともに、紙幣の肖像画の変更も検討されているという報道が流れています。

新紙幣における肖像画の候補は、1万円札に渋沢栄一、5千円札に津田梅子、1千円札に北里柴三郎ということです。

この中でも、特に渋沢栄一と津田梅子はよくわからないと言う方も多いのではないでしょうか?

津田梅子とは?新紙幣5千円札の肖像画候補の画像&偉業や歴史まとめ平成も2019年4月で終わり、2019年5月からは令和元年となりますね。平成の終わりとともに、紙幣の肖像画の変更も検討されているという報...

ということで、今回は渋沢栄一がどのような人物なのか簡単にまとめてみました。

渋沢栄一が新紙幣1万円札肖像画候補

 政府は数年後をめどに、1万円などの紙幣の肖像画を変える準備に入った。肖像画の変更は2004年以来となる。政府関係者が9日未明、明らかにした。

【5000円札・津田梅子、1000円札・北里柴三郎、どんな人物?】

1万円札は第一国立銀行や東京証券取引所など多くの企業を設立、経営した実業家、渋沢栄一▽5000円札は津田塾大学の創始者、津田梅子▽1000円札は「近代日本医学の父」として知られ、ペスト菌を発見するなど医学の発展に貢献した北里柴三郎の肖像画を使用することを検討している。

1万円札の肖像は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来の変更となる。5000円札の肖像は04年に新渡戸稲造から日本で戦後初めて女性の樋口一葉になり、1000円札の肖像は同年に夏目漱石から野口英世に変わっていた。

紙幣の様式は通貨行政を担当している財務省、発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局の3者で協議し、日本銀行法に基づいて財務相が決める。

引用:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190409-00000002-mai-bus_all

数年後を目処にということなので、すぐにではないようですが紙幣が刷新されるよ予定があるようです。

昭和世代の人間としては、2004年に千円札が夏目漱石から野口英世に変わり、5千円札が新渡戸稲造から樋口一葉に変わったばかりなのでもう変わるの?という気もします。

野口英世、樋口一葉は約15年での変更なるので短いスパンとなりますね。

福沢諭吉の1万円札のみ、1984年以降変わっていないということですね。

紙幣の刷新は偽札対策の最新技術が使われたりと、定期的に行われるのは仕方がないことですがこれも一つの時代の終焉ということでちょっと寂しい気もしますね。

渋沢栄一の偉業や歴史は?経歴やwikiプロフィール

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) – 昭和6年(1931年)11月11日)は、江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる。

尊攘派志士から、徳川慶喜の家臣・幕臣へ[編集]

一方で5歳の頃より父から読書を授けられ、7歳の時には従兄の尾高惇忠の許に通い、四書五経や『日本外史』を学ぶ。剣術は、大川平兵衛より神道無念流を学んだ。19歳の時(1858年)には惇忠の妹・尾高千代と結婚、名を栄一郎と改めるが、文久元年(1861年)に江戸に出て海保漁村の門下生となる。また北辰一刀流の千葉栄次郎の道場(お玉が池の千葉道場)に入門し、剣術修行の傍ら勤皇志士と交友を結ぶ。その影響から文久3年(1863年)に尊皇攘夷の思想に目覚め、高崎城を乗っ取って武器を奪い、横浜を焼き討ちにしたのち長州と連携して幕府を倒すという計画をたてる。しかし、惇忠の弟・尾高長七郎(従兄弟)の懸命な説得により中止する。

親族に累が及ばぬよう父より勘当を受けた体裁を取って京都に出るが、八月十八日の政変(文久3年(1863年))直後であったため、勤皇派が凋落した京都での志士活動に行き詰まり、江戸遊学の折より交際のあった一橋家家臣・平岡円四郎の推挙により一橋慶喜に仕えることになる。仕官中は一橋家領内を巡回し、農兵の募集に携わる。

主君の慶喜が将軍となった(慶応2年(1866年)12月5日-慶応3年(1867年)12月9日)のに伴い幕臣となり、パリで行われる万国博覧会(1867年)に将軍の名代として出席する慶喜の異母弟・徳川昭武(後の水戸徳川家11代当主)の随員として御勘定格陸軍付調役の肩書を得て、フランスへと渡航する。パリ万博を視察したほか、ヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行する。各地で先進的な産業・軍備を実見すると共に、社会を見て感銘を受ける。ちなみにこの時に彼に語学を教えたのは、シーボルトの長男で通訳として同行していたアレクサンダーである。帰国後もその交友は続き、アレクサンダーは弟のハインリヒと共に後に明治政府に勤めた渋沢に対して日本赤十字社設立など度々協力をするようになる。なお フランス滞在中に、御勘定格陸軍付調役から外国奉行支配調役となり、その後開成所奉行支配調役に転じている。

パリ万博とヨーロッパ各国訪問を終えた後、昭武はパリに留学するものの、大政奉還に伴い、慶応4年(1868年)5月には新政府から帰国を命じられ、9月4日(1868年10月19日)にマルセイユから帰国の途につき、同年11月3日(12月16日)に横浜港に帰国した。

大蔵省出仕〜実業家時代[編集]

大蔵省時代

帰国後は静岡に謹慎していた慶喜と面会し、静岡藩より出仕することを命ぜられるも、慶喜より「これからはお前の道を行きなさい」との言葉を拝受した。その後、フランスで学んだ株式会社制度を実践することや、新政府からの拝借金返済のために、明治2年(1869年)1月に静岡で商法会所を設立した。ところが大隈重信に説得され、10月には大蔵省に入省することとなる。大蔵官僚としては民部省改正掛(当時、民部省と大蔵省は事実上統合されていた)を率いて改革案の企画立案を行ったり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わった。しかし、予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立し、明治6年(1873年)に井上馨と共に退官した。明治8年(1875年)、商法講習所を設立する。

退官後間もなく、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(第一銀行、第一勧業銀行を経て、現:みずほ銀行)の頭取に就任し、以後は実業界に身を置く。また、第一国立銀行だけでなく、七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導した。

第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、大日本製糖、明治製糖、澁澤倉庫など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。1887年ころには、渋沢を慕う経営者や管理職が集まる龍門社が組織され、昭和初期には数千名の会員を数えた

「外人土地所有禁止法」(1912年)に見られる日本移民排斥運動などで日米関係が悪化した際には、対日理解促進のためにアメリカの報道機関へ日本のニュースを送る通信社を立案。成功はしなかったが、これが現在の時事通信社と共同通信社の起源となった。

渋沢が三井高福・岩崎弥太郎・安田善次郎・住友友純・古河市兵衛・大倉喜八郎・浅野総一郎などといった他の明治の財閥創始者と大きく異なる点は、「渋沢財閥」を作らなかったことにある。「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通し、後継者の敬三にもこれを固く戒めた。渋沢は財界引退後に「渋沢同族株式会社」を創設し、これを中心とする企業群が後に「渋沢財閥」と呼ばれたこともあったが、これは死後の財産争いを防止するために便宜的に持株会社化したもので、渋沢同族株式会社の保有する株は会社の株の2割以下、ほとんどの場合は数パーセントにも満たないものだった。 他の財閥当主が軒並み男爵どまりなのに対し、渋沢一人は子爵を授かっているのも、そうした公共への奉仕が早くから評価されていたためである。 昭和6年(1931年) 死去。享年92。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80

 

私も正直、渋沢栄一がどのような人物か知らず、今回調べてみて初めて色々と知りました。大政奉還の前に生まれ、最後の将軍である徳川慶喜に仕えていたんですね。

そして、日本の近代化・資本主義化に大きく貢献した人物ということですね。さらには、自分の私利私欲のためではなく、公共のために人生を尽くされたという点でも歴史的に評価されているようです。

三井や住友、三菱など日本にある数々の財閥並みの功績を残しながらも、財閥にはならず公共のために尽くした人物がいたとは驚きでした。

現在のみずほ銀行の前身である第一国立銀行の初代頭取となり、その後も日本を代表する数々の企業設立に関わった人物ということです。

資本主義化への貢献や公共性の追及などの実績を考えれば、1万円札の肖像画にふさわしい人物ですね。

渋沢栄一の偉業や歴史は?新紙幣1万円札肖像画候補まとめ

日本の資本主義の父とも呼ばれる渋沢栄一が1万円札の肖像画となることで、改めて日本の今後にも公共性を求めた資本主義を考えるきっかけになるかもしれませんね。

1万円札は約35年ぶりということで、デザインがどのように変更になるのか非常に興味深いですね。

色味や大きさ、質感なども多少は変わる可能性がありますね。元号が令和になり、紙幣まで変わるとなると本当に時代の変化を感じますね。

色々な問題がある時代ですが、令和がどのような時代になるのか?今から楽しみです。

読んで頂きありがとうございました!

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