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2019年「斎王代」負野李花の実家は金持ち?公募ではない選考基準や負担金について

毎年京都で行われる「葵祭(あおいまつり)」のヒロインである斎王代が選ばれ、発表されました。2019年の斎王代は、会社員の負野李花さんが選ばれたようです。

葵祭は京都三大祭りの一つとしても有名ですが、このヒロインである斎王代はどのように選ばれているのでしょうか?

また、今年の斎王代となった負野李花の経歴やご実家が老舗ということで調べてみました。

2019年度 第46代 斎王代に負野李花さん

葵祭と斎王代

 京都三大祭りの一つ葵祭(5月15日)のヒロイン第64代斎王代に会社員負野(おうの)李花さん(23)=京都市左京区=が選ばれたと15日、葵祭行列保存会(上京区)が発表した。
負野さんは、香製造販売「負野薫玉堂」(下京区)経営、負野和夫さん(57)の次女。昨年9月に同志社大を卒業し、今春から村田製作所に勤務している。同志社高ではラクロス部で主将を務め、全国大会で優勝し、最優秀選手賞に輝いた。高校生からドイツ語の学習を始め、大学時代には1年間ドイツに留学した。趣味は茶道。
上京区のホテルで記者会見した負野さんは「小学生のころに葵祭を見て、女人列の美しさに感動した」と振り返った。さらに「令和」で最初の葵祭で斎王代を務めることについて「葵祭は国家の安泰を祈るお祭り。次の時代も平和であることを祈って務めたい。体調管理に気をつけて臨む」とした。

 斎王代は、平安時代に上賀茂、下鴨両神社に仕えた内親王「斎王」の伝統にヒントを得て、1956年に再興された。斎王に代わる女性を一般から選ぶ仕組みを確立し、葵祭に不可欠な存在になっている。

引用:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190415-00010003-kyt-l26

お祭りでヒロインを選ぶとなると、ミスコンのようなものをイメージしてしまいますよね。しかし、京都の伝統的なお祭りということで、皇族の代わりに巫女のような役割を果たすもののようです。

葵祭とは?

葵祭(あおいまつり、正式には賀茂祭)は、京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で、5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に行なわれる例祭。石清水八幡宮の南祭に対し北祭ともいう。平安時代、「祭」といえば賀茂祭のことを指した。

石清水祭、春日祭と共に三勅祭の一つであり、庶民の祭りである祇園祭に対して、賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物に訪れる、貴族の祭となった。京都市の観光資源としては、京都三大祭りの一つ。

平安時代以来、国家的な行事として行われてきた歴史があり、日本の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されている。

葵の花を飾った平安後期の装束での行列が有名。斎王代が主役と思われがちだが祭りの主役は勅使代である。源氏物語中、光源氏が勅使を勤める場面が印象的である。大気の不安定な時期に行われ、にわか雨に濡れることが多い。1995年(平成7年)は雨天で戦後初の中止になった。

祭の起源と沿革は、欽明天皇の567年、国内は風雨がはげしく五穀が実らなかったので、当時賀茂の大神の崇敬者であった伊吉の若日子に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであるというので、若日子は勅命をおおせつかって、4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったという。819年(弘仁10)には、朝廷の律令制度として、最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行うという国家的行事になった。

源氏物語にも、葵祭の斎王列を見物しようと、光源氏の妻、葵の上と六条御息所が、車争いを演じた場面が登場する。 それから10年以上経ち、光源氏と紫の上が桟敷席から祭り見物する場面がある。ちなみに、紫の上は幼い頃。光源氏が勅使の役目を終えて休暇を迎えた際に、牛車の中で祭りを一緒に見物していた。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%B5%E7%A5%AD

平安時代から続くお祭りとのことです。西暦567年の農作物の不作を祈念することから始まったとのことですね。

1400年以上前から続いているなんて、想像を絶しますが京都の人々はその伝統を絶やすことなく続けているのは素晴らしいことですよね。

源氏物語の作中で、光源氏が関わったなんて聞くとそれだけ長い歴史のあるお祭りだということがわかりますよね。

斎王代とは?

「斎王」(さいおう)とは、賀茂神社に御杖代として仕えるために皇室から差し出された内親王・女王のこと。

1956年(昭和31年)に斎王にちなみ、斎王代と女人列が創設された。京都ゆかりの一般女性から選ばれ、斎王の代理ということで「斎王代」となる。唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)を着用、白塗りの化粧をし、お歯黒も付ける。

毎年5月4日には斎王代禊(みそぎ)の儀が行われる。斎王代と女人たちが御手洗池(みたらしいけ)に手を浸し清める儀式で、下鴨神社と上賀茂神社両社で隔年交替で行われる。

なお斎王代は一般公募あるいはオーディション等で選ばれていない。数千万円と言われる費用を負担できることが条件となっているため、京都ゆかりの寺社・文化人・実業家などの令嬢(主に20代)が推薦等で選ばれている。莫大な負担ができ、かつ祭の維持に理解がある一部の家の令嬢に事実上限られるため、一部の資産家に役割が集中し、母も斎王代であったという例は数多く、姉妹揃って斎王代や、祖母・母・本人と三代続けて斎王代であるという例もある。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%B5%E7%A5%AD

斎王代が選ばれるようになったのは、1956年からということで60年ちょっとの歴史があるようです。斎王の代わりを務めるということで、斎王代と呼ばれるのですね。

斎王代の負担金について

斎王代の負担金としてかかる費用は主に下記4つだと考えられます。

  1. 斎王代が着る十二単
  2. 十二単のクリーニング代
  3. 行列の費用
  4. 関係者の食事代、寄付金

これらを合計すると1000万とも、1500万とも言われていますが、正確な費用は明らかにされていません。

斎王代はどうやって選ばれるのか

負野李花さんが選ばれた斎王代になるには、いくつか条件があるようで誰でもなれるわけではないようです。

  • 負担金が支払えること
  • 京都にゆかりのある家柄の令嬢であること
  • 上記以外の選考基準は明らかにされていない

オーディションや公募ではないという点が、むしろ明解で京都の中ではステータスにもなっているのでしょうね。

負野李花さんもこの条件に当てはまるということですね。

2019年斎王代となった負野李花の経歴

名前 負野李花
生年月日 1995年? 23歳
出身校 同志社高校
同志社大学
出身 京都
職業 会社員(村田製作所)

品があってまさに京美人・大和撫子という雰囲気の美人ですよね。

2019年斎王代となった負野李花の実家は400続く老舗

負野李花さんのご実家も例に漏れず、創業が文禄三年(1594年)と400年以上続く老舗とのことです。

香老舗 薫玉堂

所在地:〒600-8349
京都市下京区西中筋通花屋町下ル 堺町101番地(堀川通西本願寺前)
創業:文禄3年(1594年)
代表者:負野和夫

お香やお線香、香料など香りに関わる商品を開発、販売されているのお店のようですね。フレグランスオイルやハンドクリームなども取り扱いされているようですよ。


平成に入ってからこれまでの斎王代となった女性の一覧はこちらからご覧ください!

歴代の斎王代一覧

2019年「斎王代」負野李花についてSNSの反応

負野李花さんが斎王代と発表されて、SNSでは様々な反応がありました。条件が条件なので、美人で学歴もある斎王代となり京都の人々の評判はいいようです。

育ちの良さが醸し出されていて素直にこの人なら選ばれて当然という感じがする。経歴も申し分なし。

 

旧家のお育ちで見目麗しい、学生時代もとても活発であったとお聞きしております。歴代の斎王代も素晴らしい女性ですが、令和の始まりの葵祭に華を添える相応しい方です。

 

めずらしく、綺麗なかたですね!

2019年「斎王代」負野李花の実家は金持ち?公募ではない選考基準や負担金についてまとめ

負野李花さんが第64代斎王代となり、今年の葵祭を見に行かれる方も多いかもしれませんね。ご実家は京都でも有名な薫玉堂ということや、今働かれている職場は村田製作所ということです。

京都では誰しもが知る名店、企業でお家柄や経歴的にも完璧で、さらに美人ということですね。

読んで頂きありがとうございました。

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